戸田市のマンションの朝は、だいたい騒がしい。
しかし、この日の騒がしさは、いつもの「靴下が片方ない」レベルではなかった。
「なあ、ミク。本当に行くのか、あそこに?」
夫は、テレビのリモコンを握りしめたまま、
まるで宇宙に旅立つ息子を見送るかのような顔をしていた。
🐾ミケのためだもの
「行くよ。ミケのためだもの」
ミクは愛猫ミケの写真を胸に抱きしめながら、きっぱりと言った。
「だってさ、移動火葬車とか、煙がモクモクして近所の人に見られたら」
「あなた、それ昭和のイメージよ。
今どきの移動火葬車は静かで綺麗なの。
ていうか今回は戸田火葬場に行くって言ってるでしょ」
「戸田火葬場って、あれ板橋区にあるのに戸田って名前の?」
「そう。大正時代に戸田村にあった名残なの。歴史あるのよ。東京都内で二番目に古いんだから」
「へぇ。そんな豆知識いらんけど」
夫は、なぜか急に歴史の重みを感じたのか、背筋を伸ばした。
👧👧娘たち乱入
そこへ、小学生のサオリと、中学生になったばかりのユキが乱入してきた。
「ママ〜!ミケのお別れ室って鳥の絵が描いてあるんでしょ?友達が言ってた!」
「そうなのよ。空に羽ばたく鳥の絵。ミケもきっと喜ぶわ」
「えっ、ミケって鳥好きだったっけ?」
「そこは雰囲気よ、雰囲気」
夫はスマホで料金表を見ながら眉間にしわを寄せた。
「小型動物の立会火葬で33,000円。特大動物で60,500円。粉骨11,000円。
うーん、ミケは小型でいいんだよな?」
「夫、ミケを特大扱いしようとしてない?」
「いや、ほら、最近ちょっと太ってたし」
「失礼な。ミケはふくよかなの!」
サオリが笑いながら言った。
「パパ、ミケは特大じゃなくてぽっちゃり小型だよ」
ミケの遺影がどこか誇らしげに微笑んでいるように見えた。
🚗戸田火葬場へ
「よし、覚悟を決めたぞ!」
朝のリビングに、夫の妙に張り詰めた声が響いた。
ミクとサオリが振り向くと、そこには──
白いヘルメット、軍手、そしてなぜか登山用リュックを背負った夫が立っていた。
「パパ、それ何の装備?」
ユキが冷静に尋ねる。
「いや、ほら、火葬場って熱いんだろ?炉とかあるし。安全第一だと思ってな」
「夫、火葬場は工事現場じゃないのよ」
「でも、ほら、熱風とか飛んでくるかもしれないし」
「飛んでこないわよ」
ミクが呆れたように言うと、夫はさらにリュックをゴソゴソし始めた。
「あと、非常食も持ってきた。カロリーメイトと水と……なぜか乾燥わかめ」
「なんで乾燥わかめ?」
「いや、なんとなく。非常時に良さそうだろ?」
「パパ、火葬場は遭難する場所じゃないよ」
とサオリ。
🐱ミケのサイズ問題
夫はスマホを見ながら突然叫んだ。
「ミク!ミケの火葬、特大動物の料金になったらどうするんだ!」
「だから、ミケは特大じゃないって言ってるでしょ」
「でも最近、抱っこするとズッシリしてたし」
「それはパパのお腹も同じでしょ」
「ぐっ!」
サオリが冷静に補足する。
「パパ、ミケはぽっちゃり小型。パパはぽっちゃり中型。分類が違うよ」
「なんだ、その動物園みたいな分類は!」
🚙出発
ようやく車に乗り込んだミク一家。
エンジンをかけた瞬間、ミクがふとつぶやいた。
「ねえ、ミケ、ダイヤモンドにできるらしいのよ」
「ダイヤモンドォォォ!?」
夫の叫びが車内に響き渡った。
「ちょ、ちょっと待て!ミケが宝石に?そんな高級な!」
「パパ、ミケはぽっちゃり小型だけど、ダイヤは高級小型だから」
「例えがよく分からん!」
夫は震えながらシートベルトを締めた。
「ミケがダイヤに……俺の給料より輝く存在に……」
「夫、それは前からよ」
「ぐはっ!」
📚娘たちの冷静な解説
後部座席のユキとサオリがタブレットを見ながら言った。
「パパ、メモリアルダイヤモンドって遺骨や遺灰の炭素から作るんだよ。
圧力と温度をかけて結晶化させるの」
「ユキ、なんでそんなに詳しいんだ」
「昨日、自由研究のテーマ探してたら出てきた」
「自由研究のレベル超えてる気がするんだけど」
💸夫の小遣い問題
信号待ちのとき、夫がふとつぶやいた。
「でもさ、ダイヤモンドって高いんだろ?」
「まあ、安くはないわね」
ミクが言うと、夫は急に焦り出した。
「えっ、ちょっと待って。俺の小遣い、どうなるの?」
「夫、誰もあなたの小遣いから出すなんて言ってないわよ」
「そ、そうかよかった……」
サオリが冷静に刺す。
「でも、パパ、ママが家計から出すって言ってないだけで、
パパの小遣いから出さないとも言ってないよ」
「えっ、えっ、ミク?」
「サオリ、変なこと言わないの」
「事実を述べただけだよ」
夫の顔が信号の赤より赤くなった。
🐾ミケとの最後の時間
「でもね、夫」
ミクが少し真面目な声で言った。
「ミケは、私たちの家族だったでしょ。
最後に何か形に残せるなら、それもいいかなって思ったの」
夫はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「そうだな。ミケは、俺が帰ってくるといつも玄関まで来てくれたしな。
ダイヤになっても、そばにいてくれる気がするな」
ユキが優しく笑った。
「パパ、そういうところはちゃんとしてるよね」
「お、おう。褒められてるのか?」
「うん。珍しく」
「珍しくって言うなよ」
🔥火葬へ
戸田火葬場の駐車場に車を停めると、夫は深呼吸をした。
「よし、行こうか」
「うん」
「パパ、靴左右逆だよ」
「えっ!? あっ、本当だ!」
夫は慌てて靴を履き替え、
ミクと娘たちに軽く笑われながら、
四人はゆっくりとお別れ室へ向かって歩き出した。
ミケの遺影は、今日もどこか穏やかに微笑んでいる。





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