「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルでノートを広げ、「信じる=〇でも×でもない」「海が壁のようになった」「1053円の奇跡」「神様はそうじゃそうじゃと思っている」と、スケールの大きい旧約聖書のエピソードと身近なお買い物の話を真剣な顔で書き連ねていた私に、妻が温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「さっきからモーセの出エジプトか、スーパーの小銭ぴったりか!って、一人で何の奇跡の比較検証を開いているの?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私はほうじ茶を一口すすり、古代の預言者かのような神妙な眼差しで語り始めた。
「神様を信じるということの真意について思索していたのだよ!海が壁のように割れるような大壮大な奇跡も素晴らしいが、日常のたまたまお財布にぴったり小銭が入っていたというささやかな奇跡に感謝することこそ、信仰の本質的な始まりなのだ!信じるか信じないかは人それぞれだが、偶然を誰かのおかげ神様のおかげと受け止めれば、神様も天でよしよし、気づいたかと微笑んでくださる。この謙虚な姿勢こそが重要なのだよ!」
私が熱っぽく「奇跡の多様性」と「感謝の心」について語り尽くすと、妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「へぇ。日常の小さな偶然を神様のおかげだと感謝して受け止めるねぇ」
「うむ!幸運を自分の実力だと過信せず、謙虚に感謝を捧げることこそが大切なのだよ!」
「じゃあ、お父さん。さっきから奇跡的に靴下の片方が見つからん!神様が私に素足で生きろとお告げを下しているのだ!って騒いで、履いていく靴下がないのを神様のせいにしようとしていたのは誰かしら?」
「えっ?」
妻はニコニコしながら、ソファの隙間に半分挟まっていた私の黒い靴下を指さした。
「海を割るほどの奇跡をノートに熱弁する前に、ソファの隙間に靴下を脱ぎ捨てた自分のズボラさを猛省したらどうなの?何でもかんでも神様の仕業にしていたら、靴下くらい自分で揃えなさいって天から呆れられるわよ?」
「ぐっ!な、なぜそれを!あれは靴下の捜索を通じて、日常の足元のありがたみを再確認する試練であって!」
痛いところを突かれ、私は大汗をかいて言葉に詰まる。
「言い訳しないの!奇跡に感謝する前に、自分の脱ぎ散らかした洗濯物をちゃんとカゴに入れるという人間の義務を果たしなさいな」
妻の容赦ないツッコミに、私は完全に降参した。
「御意。ただちに己のズボラさを深く反省し、足元の靴下を自力で回収して、我が家の平和と美しいリビングを守ってまいります」
古代の壮大な奇跡と日常の感謝に思いを馳せつつも、靴下の捜索劇をあっさり呆れられて苦笑いする私。
妻の愛あるツッコミに感謝しながら、私はノートを閉じ、我が家の平和を守るべく、静かにほうじ茶を飲み干すのだった。





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