2025年8月6日、午前8時15分。
広島の静かで暑い朝に、今年もサイレンの音が長く鳴り響いた。
私はリビングでそっと目をつむり、79年前(80年目)の街に思いを馳せ、胸の奥からこみ上げるものに涙を流していた。
「お父さん、また涙流してるの?」
ミサから帰り、麦茶を飲んでいた妻が優しく声をかけてきた。
「いやね、妻よ。さっきのサイレンを聞いていて、広島の平和記念式典のことを考えていたのだよ。知事の言葉や国連事務総長のメッセージが心に染みてね。人間は絶望の瓦礫の中から希望を創り上げたのだな、とまあ、単に最近さらに涙もろくなっただけかもしれないがね」
自嘲気味に笑う私に、妻は静かに頷いた。
「でもね、どうしても許せないことがあるんだ。世界初の核実験にトリニティ(三位一体)なんて名前がつけられていたんだよ。神様の本質である聖なる言葉を、あんな惨劇の実験に使うなんてひどい話じゃないか」
「本当ね」
「湯崎知事の挨拶も凄かった。国破れて山河ありならぬ、国守りて山河なしになるような安全保障に何の意味があるのか、と。核抑止という虚構に頼るのではなく、広義の外交や平和の構築に力を注ぐべきなんだ。石破首相が引用された正田篠枝さんの短歌太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれりを聞くだけで、胸が締め付けられるよ」
私が目頭を押さえていると、妻はふうっと小さく息を吐いた。
「お父さん。そうやって世界や歴史の不条理に思いを馳せるのは大切だけどさ」
「うん?」
「さっき、どうして世界から戦争がなくならないんだろうって呟いてたでしょう」
「ああ。神様に問いかけていたんだ。そうしたら気づいたんだよ。人間一人ひとりの心の中にある小さな悪や傲慢さが集まって、大きな争いになってしまうんだな、と」
妻はニヤリと笑うと、私の鼻先を指さした。
「そうよ。その心の中の戦争、さっき我が家のリビングでも勃発しそうになってたわよ」
「えっ!?」
「今朝、お父さんが暑いからってエアコンの温度を勝手に18度に下げて、寒がった私とリモコンの奪い合いになった件よ。あれこそが互いの主張を曲げない小さな戦争の始まりじゃないの?」
「うぐっ!」
平和公園には世界中から人々が集まり、夜には灯籠が流される。そんな世界平和の祈りに思いを巡らせておいた直後に、リビングのエアコンの温度設定で妻と対立していた事実を突きつけられ、冷や汗が吹き出た。
「自分の中の小さな身勝手さを抑えること。それが世界平和への第一歩ね」
「御意、すぐに26度に戻してまいります」
平和とは遠い理想(北極星)ではなく、目の前の日常で手繰り寄せる現実の目標だ。妻の言葉に恐れ入りながら、私はリビングの平和を保つために、そっとリモコンを手に取るのだった。





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