「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルで分厚い聖書とノートを広げ、「海が割れて壁になる」「カラスがパンを運ぶ」「シュレーディンガーの猫」と脈絡のないメモを真剣な顔で書き連ねていた私に、妻が温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「さっきから水の上を歩くのは浅瀬だったから?説とか、火の炉から生還とか、一人でどんな超常現象バトルを繰り広げているの?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私はほうじ茶を一口すすり、深遠な眼差しで語り始めた。
「洗礼前の勉強中のひとと(聖書でにわかに信じがたい記述)について語り合っていたのだよ!モーセの海が壁になる話から、食べ物が尽きない油のびん、果てはピリポのテレポーテーションまで!確かに人間業とは思えない記述ばかりだが、素直に信じることでその奥にある大きなメッセージに気づくのだよ!」
「へぇ。人間業とは思えない不思議な出来事を、素直に信じるのが大事ねぇ」
妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「で?その信じがたい記述も素直に信じると言っているお父さんは、さっきから何をブツブツ疑っていたのかしら?」
「えっ?」
「うちの冷蔵庫のプリンが忽然と消えたのは、神様の奇跡かカラスの仕業に違いないって、本気で現実逃避していたでしょう」
「ぐっ!な、なぜそれを!」
痛いところを突かれ、私は言葉に詰まる。
「夕方、お腹を空かせた自分が自分で食べたのを忘れているだけでしょ。都合のいい時だけエリヤのカラスやテレポーテーションを持ち出さないでちょうだい」
「うぐぐっ!あれは私の記憶がシュレーディンガーの猫のように重なり合っていたのだ!」
「物理学の思考実験をそんな言い訳に使わないの。量子力学だの進化論だのを語る前に、自分が食べたプリンの空き容器くらい、自分でゴミ箱に捨てたらどうかしら?」
妻の容赦ないツッコミに、私は完全に降参した。
「御意。ただちに台所のゴミ箱を確認し、自分のしでかした現実を素直に受け入れてまいります」
聖書のスケール大きな奇跡に感動しつつも、自分の都合良すぎる日常の記憶喪失を見抜かれて苦笑いする私。
妻の愛あるツッコミに感謝しながら、私はノートを閉じ、我が家の平和と現実を取り戻すべく、静かに台所へと前進するのだった。





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