広島市の外れにある就労継続支援B型事業所「トテチテタ」は、朝になるといつも少しだけ騒がしい。
玄関の引き戸がガラガラと開くたび、利用者さんたちの声が重なり、コーヒーの香りと混ざって、なんとも言えない温かい空気が流れ込んでくる。
昼下がりのトテチテタは、いつもより少しだけのんびりしていた。
午前中のチラシ配りを終え、利用者さんたちはそれぞれの作業に戻っている。
ホチキス
タダシは事務所で、次のチラシ配りの準備をしていた。
机の上には、印刷したばかりのチラシの束。
その横には、ホチキスと替え芯。
(さて、これを綴じて)
そう思って手を伸ばした瞬間、タダシは固まった。
「ホチキスがない」
さっきまで机の上にあったはずのホチキスが、すっと消えていた。
「タダシさん、どうしました?」
ユウタが顔を出した。
「ホチキスがいなくなった」
「いなくなった?」
「うん。さっきまでここにいたのに」
ユウタは真剣な顔で机の下をのぞき込み、
次に棚の上、コピー機の裏、果ては観葉植物の鉢の中まで探し始めた。
「いませんね」
「ホチキスが歩いて逃げたのかな」
タダシは冗談を言ったつもりだったが、ユウタは真顔でうなずいた。
「可能性はゼロじゃないです」
三角地帯
そこへ、カズマが地図を片手にやってきた。
「タダシさん、ホチキスが消えたんですか?」
「うん。どこにも見当たらなくて」
カズマは地図を広げた。
「ここは、ホチキス消失エリアです」
「そんなエリア、地図にあったっけ?」
「あります。ぼくの地図には」
カズマは真剣だ。
タダシは笑いをこらえながら、彼の指す場所を見た。
そこには、カズマが勝手に描き足した謎のゾーンがあった。
事務所の隅に、なぜか魔の三角地帯と書かれている。
「ここに落ちた物は、よく消えます」
「それ、ただの棚の裏じゃない?」
「そうとも言います」
折り紙ホチキス
そこへ、折り紙の袋を抱えたマサトがやってきた。
「タダシさん、これ」
マサトが差し出したのは、折り紙で作られたホチキスだった。
「え、これ、ホチキス?」
「はい。ホチキスがないと聞いたので、作りました」
タダシは思わず笑ってしまった。
「ありがとう。でも、これじゃ、綴じられないよね」
「綴じられません。でも、気持ちは綴じられます」
マサトは真顔だ。
タダシは笑いながら折り紙ホチキスを受け取った。
そのとき。
「タダシさん、ありました!」
ユウタが叫んだ。
「どこに?」
「ここです!」
チラシの山
ユウタが指さしたのは、コピー機の上に置かれたチラシの山の下だった。
「タダシさんがさっき、置いたんですよ」
「あ、そうだったかも」
タダシは頭をかいた。
「ホチキス、逃げてませんでしたね」
「はい。タダシさんが隠してただけです」
「隠してたわけじゃないよ」
ユウタとカズマは顔を見合わせ、なぜか同時にうなずいた。
「タダシさん、今日はホチキス事件ですね」
「地図に記録しておきます」
マサトは折り紙ホチキスを見つめながら言った。
「本物が見つかったので、これは飾っておきます」
タダシは笑いながら言った。
「うん。今日の記念に飾ろう」
午後の静けさ
午後の作業が始まると、事務所には静かな時間が流れた。
ユウタはチラシを数え、
カズマは地図を描き足し、
マサトは折り紙のドラゴンを増やしている。
タダシは机の上に置かれた折り紙ホチキスを見つめた。
(こういう日が、俺は好きだ)
何か大きなことが起きるわけじゃない。
でも、小さな事件があって、みんなで笑って、気づけば一日が終わっている。
そんな日々が、トテチテタにはよく似合っていた。




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