神様が見えない13|母?

神様が見えない
はじめに(神様が見えない)

以前書いていたブログ「神様が見えない」からリメイクして転載いたしました。

登場人物紹介

ミクの夫です。こんばんは!

ミクです。あなた、今日は何をやらかすのかしら?

「お父さん、また胸の前で素早く十字切ってたでしょ」

夕食のテーブルで、妻がクスッと笑いながら言った。

ばれたか。私が胸の前で小さな十字を切る時。それはミサの最中や祈りの時間だけではない。我が母(84歳)の超絶怒涛の強引さを目撃し、私の心に不穏なイライラが芽生えた瞬間の「緊急避難措置」なのだ。

母のパワフルさは、我が家どころか教会でも遺憾なく発揮されている。
日曜のミサ後、知り合いに「これ面白いから読みなさい!」と強引に自分の愛読書を押し付ける母。相手の引きつった笑顔を見るたび、私は勝手に「読んでいる暇もないのに、感想まで求められたら負担だろうな」とヒヤヒヤしてしまう。

さらに、聖体拝領の行列でのこと。父がオルガニストの方に「お先にどうぞ」と順番を譲っていただけなのに、後ろから母が「早く行きなさい!」と背中をドシッと小突いた。父の奥ゆかしさを一瞬で粉砕する、容赦なき背面攻撃である。

だが、私のイライラメーターが最も跳ね上がるのは実家での食事風景だ。

「あなた、野菜が少ないわよ! サラダもしっかり食べなきゃダメ!」

鷹のような鋭い眼光で、父の箸の動きをじっと監視する母。
大人の夫婦関係とは「お互いを見つめ合うのではなく、外の世界に目標を置いて一緒に歩むこと」だと何かの本で読んだことがある。なのに、母は父の皿の上ばかりを凝視している。「もっとお互い自由に食べさせてあげてくれよ」と、見ているこちらが胃もたれしそうになるのだ。

「でもねぇ、お母様も84歳でしょ。あれがお母様流のお父さんへの愛なのよ」
妻が温かいお茶を飲みながらなだめてくれる。

分かっている。母を否定したいわけじゃない。「もっと楽に、自由に暮らせばいいのに」と伝えたいだけなのだ。けれど、ついイラッとしてしまう自分に反省し、私はそっと胸の前で十字を切る。どうか、この場に平和が訪れますように、と。

すると時折、心の中で悪魔のようなささやきが聞こえることがある。
こんな食事時に十字なんて切るなよみんなが見てるからやめときな

いやいや、負けてたまるか。イエス様の愛と救いのしるしである十字を切るのに、遅すぎることも早すぎることもないのだ(※ただし、母の監視の目がこちらに向く前に手早く済ませる必要はあるが)。

「まあ、お父さんがどれだけ心で十字を切っても、お母様の野菜食べなさい攻撃は止まらないと思うけどね」
「それを言わないでくれ」

親や身近な人の「なんだかイラッとする行動」、皆さんはどう受け止めていますか? 我が家では今日も、母の強引さと私の小さな祈りが、静かな攻防戦を繰り広げています。

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