「お父さん、またノートに富の使い道に責任を負わされている、なんて、達筆で重々しい言葉を書き殴ってどうしたの?」
日曜日のミサから帰り、リビングでコーヒーを飲んでいた妻が、私の手元を覗き込んで呆れ顔を浮かべた。
「ふふふ、妻よ。今日はあの大実業家リッチ・デヴォス氏の本から、お金持ちと神様の関係について深遠な考察をしていたのだよ。聖書には富と神の両方に仕えることはできないとあるが、実は正しく得た富を人々のために正しく使うお金持ちは、神様に認められる存在なのだ!」
胸を張って力説する私に、妻は、ふーんと気のない返事をしながら、チラリと私を見た。
「へぇ、素晴らしいわね。で、その神様に認められる富の使い方を学んだお父さんの、今月の使い道はどうだったかしら?」
「ぐっ」
「営業マン時代に自分を売る(信頼を得る)って教わったんでしょ?なのに先週、ホームセンターでこれさえ買えばDIYが一発逆転でプロ並みになる!って興奮して買った電動工具、一度も使わずに押し入れの奥に大切に仕舞い込んでるわよね?」
痛いところを突かれた。聖書の「タレントのたとえ」で、与えられた資産を土に埋めて保管し、最後には取り上げられてしまった召使いと全く同じことをやっている。
「いや、あれはだな、大切に保管しているだけで」
「それ、ただのタンスの肥やしじゃない。お金は溜め込むためじゃなく、活かすためにあるんでしょ?それに自分を出し抜きたい誘惑に勝てないからって、スーパーの限定お菓子の買い占めを狙うのもやめなさいよ」
完全に見抜かれている。ビジネスでも日常でも、人間というのはつい「他人を出し抜いて得をしたい」という欲に目がない。私のように他人と協調するのがちょっぴり苦手な人間は、特に注意が必要なのだ。
「お金持ちになるほど、使い道の責任はシビアになる。労働によって得た成果を楽しむのは良いことだが、やっかみや自慢に走ってはいけないと、デヴォス氏も言っておられる」
「はいはい。立派な格言を引用する前に、まずその押し入れに埋められた電動工具を救出して、グラグラしてる椅子の脚でも直して頂戴な」
「御意」
自分を売り、信頼を稼ぎ、与えられた恵みを周囲のために正しく使う。聖書とお金持ちの教えは、結局のところ我が家の平和な日常を守るための極意と同じなのだった。
「よし!まずは妻の信頼という最大の宝を天に積むために、椅子の修理に行ってまいります!」
「はい、頑張ってね。社長も平社員も、口だけじゃなくて手が動いてこそ、本物の営業マンよ」
妻の温かい(?)叱咤を受けながら、私はDIYツールを手に取り、リビングの修繕へと向かうのだった。






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