「ねえ、お父さん。さっきからノートにOkay, Not Yet, I Have A Better Idea って英語でカッコよく書いて、一体何やってるの?」
日曜日のミサから帰ってきた我が家。リビングで淹れたてのコーヒーを飲んでいた妻が、私の手元を覗き込んできた。
「フフフ、妻よ。これは今日のミサで神父様が教えてくださった神様からの返答の3パターンなのだよ。召命――つまり神様から与えられたそれぞれの生き方の中で、私たちが捧げる祈りに、神様はこの3通りのどれかで必ず答えてくださっているらしい」
「へぇ、どんな答えなの?」
「①わかった(Okay)、②ちょっと待て(Not Yet)、③もっといい考えがある(I Have A Better Idea)。この3つだけなんだそうだ。つまりダメ!とかもっと真面目にやれ!なんていうドSな拒絶は、神様の選択肢に一切存在しないのだよ!」
胸を張って熱弁する私に、妻はフッと怪しげな笑みを浮かべた。
「なるほどねぇ。じゃあ、先週私がたまにはお父さん、自分で使った靴下を洗濯かごに入れてねって祈るような気持ちで頼んだお願いは、神様的にはどれだったのかしら?」
ぐっ。いきなり鋭い角度から生活感あふれる質問が飛んできた。
「そ、それは間違いなく②のちょっと待て(Not Yet)だな。熟成の時が必要だったのだよ」
「嘘おっしゃい。単に忘れて脱ぎ散らかしてただけでしょ」
冷たいツッコミが飛ぶ。まあ、私の身勝手な祈りやお願いはだいたいこの「ちょっと待て」で待たされることが多い。だが、ベストなタイミングで願いが叶った時、「あぁ、神様がトリアージ(優先順位づけ)しながら、一番良い時期を待ってくれていたんだな」と納得するのだ。
そして③の「もっといい考えがある」。
例えば、運動会で自分だけが1番になれるよう祈っていたら、神様が全員同時にゴールインさせるような粋な解決策を用意してくれるというやつだ。(もっとも、今のところ私の人生で具体的な実例がパッと思い浮かばないのは、神様の恵みを忘れている私の薄情さゆえなのだが)。
「でもお父さん、夢の中で体からワラジムシが湧き出てきて、神様にそのままにしておきなさいって言われた話は?あれはどれに入るの?」
「うぐっ、あの3匹の虫の夢か」
昔、聖霊刷新の集会から帰った夜に見た、あの強烈な夢。夢の中で「今はそのままにしておきなさい」と神様の声(らしきもの)を聞いたのだが、あれはどのパターンというより、神様の特別指導だったと思いたい。ちなみに妻には「単に夕飯の食べ過ぎでうなされてただけでしょ」と一蹴されている。
「まあ、突然涙があふれてくるのも聖霊の揺さぶりだって言い張ってるけど、単に歳をとって涙腺が緩んだだけだと思うのよね」
「いや、あれは絶対に聖霊の働きだね!」
神様を見たこともなければ、ハッキリとした声を聞いたこともない。けれど、「オッケー」と「ちょっと待て」と「もっといい考えがある」で優しく見守ってくれていると信じるだけで、日々の暮らしは少しだけ愉快で温かいものになる。
「でお父さん、今日の昼ご飯は何にする?あなたのもっといい考えを聞かせてちょうだい」
「冷蔵庫の残り物で美味しいチャーハンを作る(Okay)でいかがでしょうか」
神様に甘え、妻に寄り添いながら、我が家の日常は今日も平和に過ぎていくのだった。





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