「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルで「神様が見えない理由=ドーナツの穴説」「偶像崇拝とデリカシー」「聖家族像の深遠さ」と謎のメモを真剣な顔で書き連ねていた私に、妻が温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「さっきから『神様を白髪ハゲの仙人にするのはデリカシーがない!』とか『ドーナツの穴を持ってこい!』って、一人でどんな知恵比べを繰り広げているの?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私はほうじ茶を一口すすり、古代の哲学者かのような眼差しで語り始めた。
「神様がなぜ目に見えないのか、その本質を追及していたのだよ!見える形にしようとすると、金色の牛だの白髪の仙人だのに固定化されて神様の全能性が台無しになるからね!まさに『ドーナツがあって初めて穴が存在する』ように、神様のお造りになった自然や宇宙という被造物を見てこそ、作者である神様の凄さが分かるというものなのだよ!」
私が熱っぽくドーナツの例えを引き合いに出して熱弁を振るうと、妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「へぇ。被造物(作品)を見れば、作者のことが自ずと分かるねぇ」
「うむ!聖書にもそう書いてある通り、本質は作品の中に表れるのだよ!」
「じゃあ、お父さん。昨日お父さんが日曜大工で張り切って作ってくれた、あのグラグラ揺れるリビングのコンポート皿は、作者のどんな本質を表しているのかしら?」
「えっ?」
妻はニコニコしながら、テーブルの端で微妙に傾いている手作りの木製トレーを指さした。
「果物を乗せるたびに右へ左へ傾いて、ドーナツどころかミカンすら滑り落ちそうなんだけど。この作品から伝わってくるのは、神様の全能さ、じゃなくて、お父さんの圧倒的な大雑把さだけよ?」
「ぐっ!な、なぜそれを!あれはミリ単位の誤差を楽しむあそびという名の構造美であって!」
痛いところを突かれ、私は大汗をかいて言葉に詰まる。
「難解なドーナツの穴議論や偶像崇拝を語る前に、まずは自分が作ったグラグラの棚の脚に、かませ木でもして水平を保ったらどうなの?作品のクオリティを言い訳に使わないで頂戴」
妻の容赦ないツッコミに、私は完全に降参した。
「御意。ただちに工具箱を持ってまいりまして、作者の不徳を棚脚の補正によって修正いたします」
神様の目に見えない深遠さに思いを馳せつつも、己の雑な手作りの「見える現物」をあっさり突かれて苦笑いする私。
妻の愛あるツッコミに感謝しながら、私はノートを閉じ、我が家の平和と家具の水平を取り戻すべく、静かにドライバーを握りしめるのだった。





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