「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルでスマートフォンを片手にノートを広げ、「イケメンのイエス様」「自室でイヤホン推奨」「堅信名をパウロにして後悔」「ダ・ヴィンチ・コードは主任司祭から止められた」と怒涛のメモを書き連ねていた私に、妻が温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「さっきから暗闇でイヤホンをつけて、『神は死んだのか!』とか『天国はほんとうにある!』って、一人で映画の予告編鑑賞会でも開いているの?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私はほうじ茶を一口すすり、映画評論家のような気取り気味の顔つきで語り始めた。
「キリスト教映画16選について深く思索していたのだよ!映像も美しく、最新の迫力で苦労なく信仰を学べる素晴らしい時代になった!私の十代の頃なんて『ブラザー・サンシスター・ムーン』を学校で観せられたり、遠藤周作の『沈黙』を読むしかなかったのだからね。洗礼名がヨセフなのに堅信名をパウロにして呼び分けに大苦労した私にとっても、これらの魅力的な映像体験は、まさに恵みなのだよ!」
私が熱っぽく映画の魅力と己の青春時代を語り尽くすと、妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「へぇ。苦労なく学べる素晴らしい時代ねぇ」
「うむ!予告編を観るだけでも、まるで本編を観たかのように胸が熱くなるのだよ!」
「じゃあ、お父さん。さっきからイヤホンから音が漏れてて気になってたんだけど、16作品の予告編を全部観終わるまでに、いったい何時間リビングのテーブルを占領しているのかしら?」
「えっ?」
妻はニコニコしながら、ノートの端に小さく書かれた『※映画16選を観て勉強したから、今夜の食器洗いは免除で』という、私の汚い手書きメモを指さした。
「映画16個の予告編を観て勉強した気になって、自分のやるべき家事をスキップしようとしていたでしょう。感動的な映画観賞の前に、目の前の台所の現実と向き合ったらどうなの?」
「ぐっ!な、なぜそれを!これは映画の余韻に浸り、試される信仰を分かち合うための静寂の時間であって!」
痛いところを突かれ、私は大汗をかいて言葉に詰まる。
「『赦しのちから』や『ブラザー・サン』に感動するのもいいけれど、我が家の平和を守る一番の秘跡は『食べたお茶碗をすぐに洗うこと』よ。さあ、洗剤とスポンジを持って立ち上がりなさい」
妻の容赦ないツッコミに、私は完全に降参した。
「御意。ただちに画面を閉じ、我が身の怠惰を悔い改めて台所のシンクへ向かいます」
素晴らしい映画の数々に感動しつつも、予告編だけで満足して家事をサボろうとした甘さを見抜かれて苦笑いする私。
妻の愛あるツッコミに感謝しながら、私はノートを閉じ、我が家の平和とキレイなシンクを取り戻すべく、静かにスポンジを握りしめるのだった。





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