「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルで聖書とノートを広げ、「見ないで信じる者は幸いである」「心の清い人は神を見る」と深遠な面持ちでメモを走らせていた私に、妻が温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「さっきから神様の証拠とは何かって、哲学者のような顔をして腕組みしてるけど、今度は何のお話?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私は、ほうじ茶を一口すすり、どこか悟りを開いたような表情で語り始めた。
「神様がいる証拠はありますか?という永遠の問いについて思索していたのだよ!奇跡を目撃しても信じない人もいれば、見なくても信じる人もいる。まさに決定的証拠はないのだ!だがイエス様は見ないで信じる者は幸いとおっしゃり、心の清い人は神を見ると山上の垂訓で教えてくださっている。目に見える証拠を探すより、清い心で信じることこそが大切なのだよ!」
私が熱っぽく語ると、妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「へぇ。目に見える証拠がなくても、清い心で信じることが大切ねぇ」
「うむ!まさに信仰の本質に辿り着いた心地だよ!」
「じゃあ、お父さん。先週ちゃんと筋トレして間食も控えてるから、絶対に痩せてるはず!って言張っていた体重計の数値は、どうして頑なに信じようとしないのかしら?」
「ぐっ!な、なぜそれを!」
痛いところを突かれ、私は言葉に詰まる。
「体重計という目に見える決定的な証拠が目の前にあるのに、この体重計は壊れている!って疑って、現実から目を背けているじゃない」
「うぐぐっ!あれは機械の不調ゆえの誤差なのだ!」
「ほらね。都合の悪い証拠は見ようとしないで、自分に都合のいいことだけ見ないで信じるなんて、心の清い人のすることかしら?」
妻の容赦ないツッコミに、私は完全に降参した。
「それにね、お父さんが心の清い人を目指すなら、まずは自分の散らかしたノートや本を綺麗に片付けることから始めなさいな。机の上が散らかっている人に、心の清らかさは宿らないわよ」
妻はクスッと笑うと、空になったほうじ茶の湯呑みを指さした。
「御意。ただちにテーブルの上を綺麗清らかにし、明日からは現実の体重計の数値も素直に信じる清い心を養ってまいります」
深遠な信仰の真理に感動しつつも、自分の都合のいい信仰心(と現実逃避)を見抜かれて苦笑いする私。
妻の愛あるツッコミに感謝しながら、私はノートを閉じ、我が家の平和と心の清らかさを取り戻すべく、静かに片付けへと前進するのだった。






コメント