「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルで古いカトリック新聞の切り抜きを広げ、「父の洗礼」「洗礼名はヨセフ」「カナダでの叫び」「幼少期のパンの耳事件」と、家族の歴史と少し恥ずかしい思い出のメモを真剣な顔で書き連ねていた私に、妻が温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「さっきから、父さんもついにヨセフ様になった!とか、クリスマスプレゼントがパンの耳でギャン泣き!って、一人で何の家族史発表会を開いているの?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私はほうじ茶を一口すすり、長年家族を見守ってきた長男かのような神妙な眼差しで語り始めた。
「わが家の信仰の歴史と、忘れえぬ思い出について思索していたのだよ!長年母を陰で支え続けた父が、ついに教会でヨセフとして洗礼を受けたのだ!カナダ時代は若気至りでカトリック以外はいやだと叫んで牧師の奥様を泣かせたり、幼少期にはクリスマス会でパンの耳が詰まった巨大袋を引き当ててギャン泣きしたりもした私が。父の洗礼という節目を迎え、私もようやく人間が丸くなったとしみじみ実感しているのだよ!」
私が熱っぽく「父への感謝」と「家族の歩み」を語り尽くすと、妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「へぇ。父と同じヨセフの名を受け継ぎ、陰で家族を支える丸い人間になったねぇ」
「うむ!家族の歴史と共に歩み、温かく見守る存在こそがヨセフ様の役割なのだよ!」
「じゃあ、お父さん。さっき実家のお母さんから電話があって、お父さんが洗礼を受けて喜んでいるのに、暢之ったら照れくさがって「おめでとう」の一言で会話を終わらせたのよって寂しそうに愚痴っていたのは誰かしら?」
「えっ?」
妻はニコニコしながら、私が机の端に置きっぱなしにしていた携帯電話を指さした。
「カトリック新聞に贈る立派な文章をノートに熱弁する前に、目の前のお父さんとお母さんにもう少し心のこもったお祝いの言葉を直接伝えたらどうなの?照れて電話をすぐ切るあたり、ちっとも丸くなってないんじゃないかしら?」
「ぐっ!な、なぜそれを!あれはあまりに嬉しすぎて、言葉に詰まってしまったのであって!」
痛いところを突かれ、私は大汗をかいて言葉に詰まる。
「言い訳しないの!聖ヨセフのように陰で支えるのもいいけれど、明日もう一度電話して、ちゃんとお祝いの気持ちを伝えなさいな」
妻の容赦ないツッコミに、私は完全に降参した。
「御意。ただちに己の照れ性を深く反省し、明朝は長男として最高の言葉でお祝いと感謝を伝えてまいります」
父の洗礼という家族の歓びと甘酸っぱい思い出に思いを馳せつつも、不器用な息子の一面をあっさり見抜かれて苦笑いする私。
妻の愛あるツッコミに感謝しながら、私はノートを閉じ、我が家の温かい絆を守るべく、静かにほうじ茶を飲み干すのだった。





コメント