「畜生!」
ハンドルを握りしめ、思わず声が出た。前の車がウィンカーも出さずに割り込んできたのだ。一瞬だけ運転が荒くなり、チッと盛大に舌打ちをかます。不公正、不誠実、不平等。自分に向けられた理不尽な仕打ちを感じた瞬間、私の頭には血が上り、心の中の「お怒りメーター」がレッドゾーンを突破する。
※醜い姿ですね。よいこの皆さんは絶対にマネをしないように。
しかし、怒りのピークが過ぎるとすぐに訪れるのが、いつもの猛烈な自己嫌悪だ。またやってしまった。心の中で「悪魔の言葉」を吐き散らした自分に呆れ、信号待ちでハァと深い溜め息をつく。
「お父さん、さっきから顔が般若みたいになってるわよ」
助手席の妻が、呆れ顔でこちらを見ていた。
「いや、あの車、ウィンカーも出さずに割り込んできてさ。不公平じゃないか、ちゃんとルールを守って走っている僕に対して!」
「はいはい。で、怒った後にまた、神様、なんで世の中にはこんな不公平があるんでしょうか、お助けください、って心の中で拝んでたんでしょ?」
完全に見抜かれている。
そうなのだ。迫害を受けると信仰が芽生える、なんて言葉があるが、私の場合は「理不尽な目に遭ってカッとなる」ことこそが、皮肉にも神様を思い出すきっかけになっている。不公正に怒り、自分の器の小ささに落ち込み、最終的に「神様たすけて」と泣きつく。怒りは私のネガティブな爆発であると同時に、自分のちっぽけさと向き合い、内面を深める(?)ための絶妙なサインなのだった。
「でもねぇ、お父さん。自分に向けられた不公平にはそうやって社会派ドラマみたいに激怒するのに、私が、アイス最後の一個食べたでしょ!って言った時の不誠実な対応には、だんまり決め込むわよね」
「うぐっ」
我が身に振りかかる不公平にはアレルギー反応並みに敏感な癖に、他人(主にミク)に対する自分の行動には大甘。自己中心的な自分の姿が浮き彫りになり、ぐうの音も出ない。
怒りを静めるには、時間が経つのを待つか、神様に頼るか、あるいは「クスッと笑える何か」に出会うしかない。
まさにその時だった。
横を通り過ぎたトラックの助手席で、大きなフレンチブルドッグが人間のようにドカッと座り、真顔でこちらをじーっと見つめていた。そのあまりにも貫禄のある「おじさん顔」と目が合った瞬間、さっきまでの激怒が嘘のように吹き飛んでしまった。
「ふふっ」
「ほら、また変な顔見て機嫌直した」
妻が笑う。
怒りというのは、自分が何を大切にし、何にこだわっているかを教えてくれる鏡のようなものだ。そしてその愚かさを反省し、笑い飛ばすことで、今日も少しだけ心が丸くなる。
さて、皆さんにとっての「怒りの正体」とは何でしょうか? ちなみに我が家では、冷蔵庫のプリンが消えた時の不平等が、一番の戦争の引き金です。





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