「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することですか?」
日曜日のミサを終え、リビングのソファで聖書を開きながら、私は深々と呟いた。ヘブライ人への手紙第11章1節。目に見えない神様の摂理を信じることの大切さを説いた、実に味わい深いお言葉である。
「お父さん、さっきから聖書を片手に、何をそんなに神妙な顔で固まってるの?」
冷たい麦茶を運んできたミクが、眉をひそめてこちらを見た。
「いや、妻よ。今日は神様がなぜ目に見えないのかという深遠な真理について考えていたのだよ」
「へぇ、深遠なお話ね。で、どんな答えが出たの?」
「神様が見えないのは、私たちが偽預言者に騙されないためなのだ! 聖書にもある通り、世の終わりにはここにキリストがいる!なんて騙す奴が現れる。だが、イエス様ご自身も私が神だなんて直接おっしゃらなかった。見えないからこそ、私たちは自分の浅知恵や偽者に惑わされず、神様の大きな摂理を信じることができるのだよ」
熱っぽく語る私に、妻はふーんと頷きながら、テーブルの片隅を指さした。
「なるほどねぇ。見えないものを確信するのが信仰、ね。じゃあ、お父さん、そこにある見えないメガネのことも確信できるかしら?」
「え? メガネ?」
見ると、テーブルの上には私のお気に入りの老眼鏡ケースがポンと置いてある。だが中身は空っぽだ。
「あれっ!? ない! ケースに入れたはずなのに! どこに行ったんだ!?」
慌ててソファの隙間に手を突っ込み、新聞紙をひっくり返し、右往左往する私。
「うーむ、おかしい。万策尽きた神様、どうか私のメガネをお救いください」
さっきまで「人間の浅知恵に頼らず、神様の摂理を受け入れるのだ」とドヤ顔で語っていた男が、メガネ一発で見失い、すぐさま泣きつく体たらくである。
「はいはい、自分でもがく前に神様に祈るのはいいけどさ」
妻が呆れ顔で私の額をツンと突いた。
「メガネなら、お父さんの頭の上に載ってるわよ」
「あ」
手で頭頂部を触ると、そこにはしっかりと老眼鏡が乗っかっていた。まさに「目に見えているのに、見えていなかった」事実の確認である。
「見よ、メシアは荒れ野にいるどころか、見よ、メガネは頭の上にあるじゃない。偽預言者に警戒する前に、自分の頭の上を警戒しなさいよ」
「うぐっ。言葉もない」
うまくいかないと、つい自分の力でなんとかしようともがき、結局は自分の間抜けさに気づかされる。神様が目に見えないのは、こんな私のようなポンコツな人間が、目に見える怪しいものに飛びつかないよう守ってくださっている摂理なのかもしれない。
「まあでも、目に見えない神様を信じるより前に、頭の上のメガネが見えないお父さんの可愛さに免じて、今日のところは許してあげるわ」
妻がクスッと笑う。我が家の平和と神様の摂理は、今日もリビングの日常の中で、ちゃんと目に見えない形で働いているのだった。





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