「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルでノートを広げ、「神様を信じる=○でも×でもない」「お釣りと買い物のミラクル」「偶然は誰かのおかげにする」「よしよし、気づいたかと神様が微笑む」と、独特すぎる感謝論を真剣な顔で書き連ねていた私に、ミクが温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「さっきから、小銭ぴったりは神様の奇跡なのだ!とか、偶然を誰かのせいじゃなくて誰かのおかげに!って、一人で何の奇跡体験発表会を開いているの?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私は、ほうじ茶を一口すすり、日常の奇跡を見極める探求者かのような眼差しで語り始めた。
「神様を信じるということの身近さについて思索していたのだよ!信仰とは堅苦しいものではなく、コンビニのお釣りがぴったりだったり、財布の底から奇跡的に1000円札が出てきたりした時に神様ありがとー!と感謝することから始まるのだ!偶然やマグレを神様のおかげにすれば、神様もよしよし、気づいたかと天で微笑んでくださる。この心のあり方こそが大切なのだよ!」
私が熱っぽく「日常の奇跡」と「感謝の作法」を語り尽くすと、妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「へぇ。小銭がぴったりだったり偶然が得した時に神様に感謝するねぇ」
「うむ!幸運を当たり前と思わず、誰かのおかげだと喜ぶことが信仰の第一歩なのだよ!」
「じゃあ、お父さん。昨日、冷蔵庫にあった私の楽しみにしていた高級プリンを勝手に食べたあと、あんなところにプリンがあるなんて奇跡だ!神様ありがとー!って叫んで誤魔化そうとしていたのは誰かしら?」
「えっ?」
妻はニコニコしながら、空になったプリンのカップが残されたゴミ箱を指さした。
「自分の食い意地による盗み食いを神様の偶然のプレゼントにすり替えて感謝されても、神様もおいおい、それはただの横取りじゃって呆れているんじゃないかしら?」
「ぐっ!な、なぜそれを!あれは私の空腹を察した神様が引き合わせてくださった、運命の出会いであって!」
痛いところを突かれ、私は大汗をかいて言葉に詰まる。
「言い訳しないの!偶然を神様のおかげにする前に、自分が食べたプリンは自分の小銭で買い直して私に返すのが、人間としての正しき作法じゃないかしら?」
妻の容赦ないツッコミに、私は完全に降参した。
「御意。ただちに己の都合良すぎる解釈を猛省し、明日は私の財布から奇跡的に出てくるはずの千円札で、高級プリンを二個買って帰ることを誓います」
日常生活のささやかな奇跡に思いを馳せつつも、プリンの横取りを「神様の配計」にしようとした狡猾さをあっさり見抜かれて苦笑いする私。
妻の愛あるツッコミに感謝しながら、私はノートを閉じ、我が家の平和と妻の食いぶちを守るべく、静かにほうじ茶を飲み干すのだった。





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