「お父さん、ちょっと聞きたいんだけど」
夜の10時過ぎ。リビングのテーブルで古びたレシピ本とメモ帳を広げ、神妙な顔で遠い目をしてお茶を飲んでいた私に、ミクが温かいほうじ茶を差し出しながら声をかけてきた。
「バザーの思い出に浸っているのはいいんだけど、なんでノートに(材料費をおしむな)(原価率55%の悲劇)(炊飯器は救世主)ってデカデカと書いてあるの?」
「ふふふ、妻よ。よくぞ聞いてくれた」
私はほうじ茶を一口すすり、深遠な溜め息をひとつ吐いた。
「昔、栃木の教会バザーで大絶賛されたあの(極上チーズケーキ)のレシピを思い出していたのだよ。あの頃の私はビジネスセンスを磨こうと必死でね。フィラデルフィアのクリームチーズにタカナシの生クリーム、バニラオイルまで指定された、まさに(初心者の踏み絵)のような究極のレシピだった!」
「ああ、あのバザーで飛ぶように売れて、隣の足利や宇都宮の教会から(うちでも出品して!)ってオファーが来て天狗になってた頃ね」
「て、天狗とは心外な!私はただ、フードプロセッサーや専用の電磁調理器の凄さに感動し、その製品の素晴らしさを世に広めたいという純粋な情熱に燃えていただけなのだよ!」
私が胸を張ると、妻はほうじ茶をすすりながら、じとーっとした目を向けた。
「でもお父さん、あの時(良いものを使えばお得になる!)って息巻いて材料費をかけすぎて、結局バザーの原価率が55%まで跳ね上がってたわよね。終わった後の月曜日、魂が抜けた顔で(手伝ってくれた人におやつを出す余力がない)って撃沈してたじゃない」
「ぐっ!それは過去の未熟さゆえの過ちなのだ!」
痛いところを突かれ、私は言葉に詰まる。
「当時は営業やビジネスで成果を上げたいという(売りたい欲)が邪魔をしていたのだよ。病気の方に栄養補助食品を勧めたり、製品を買ってくださった年配のご婦人が間もなくお亡くなりになって後悔したり。自分の浅はかな欲で動いていたと思い知らされたのだ」
「あら、珍しく素直に反省してるじゃない」
「うむ。ビジネスという火に揉まれてようやく気づいたのだよ。神様の前ではどこまでも謙虚であるべきだったとね。自分が頑張ったから売れたのではなく、買ってお付き合いしてくださった方々、そして神様のお恵みがあったからこそなのだと。今でも栃木の教会の皆様から(また一緒にケーキ作りたいわね)とお電話をいただくたび、本当に大切なのは製品の売上ではなく、人との心の繋がりだったのだと胸が熱くなるのだよ」
じんと目頭を熱くする私に、妻はふっと優しく微笑んだ。
「そうね。だからこそ、あの頃から我が家では(安上がりな材料で妥協するくらいなら、年に一度の誕生日に最高においしいケーキを焼いて感謝して食べよう)って工夫に行き着いたんだものね」
「まさにその通り!妻の焼く誕生日の極上ケーキこそ、我が家の至高の恵みなのだよ!」
「はいはい、持ち上げても今夜はケーキ焼かないわよ。で、その神様の前で謙虚になることを学んだお父さんは、明日何か心構えがあるのかしら?」
「えっ?」
妻はニコニコしながら、キッチンのシンクに置かれた大きなフードプロセッサーのパーツと、洗剤のついたスポンジを指さした。
「ほら、材料費をおしまず極上ケーキを作るのも結構だけど、使った後のギトギトした調理器具を手動でピカピカに洗う(謙虚な奉仕)が残っているわよ。(ガーッ)と混ぜた責任は、最後まで手で果たしてちょうだい」
「御意」
ビジネスの成果や売りたい欲に惑わされた昔の自分に苦笑いしつつ、私は袖をまくり上げた。売り上げや計算を超えた本当の感謝を胸に、私はスポンジを手に取り、目の前の泡立つシンク(奉仕の場)へと静かに(前進)するのだった。





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