サンタ第2工房の午後は、
木の香りと静かな光がゆっくり混ざり合う時間だった。
ミクが「芸術家になりたい」と打ち明けた翌日、
タダシは胸の奥に残るその言葉の余韻を抱えながら工房へ向かっていた。
扉を開けると、
ミクは作業台の前で、ひとり木片を並べていた。
その背中は、昨日よりも少しだけ迷いを含んでいた。
「こんにちは、タダシさん」
その声は、どこか考え事をしているような響きだった。
ミクの迷いは仕事の境界線にあった
しばらく作業をしていると、
ミクは木片を置き、
少しだけ遠くを見るような目になった。
「タダシさん
私、ずっと悩んでることがあるんです」
タダシは静かに聞いた。
「売る仕事と、作る仕事のあいだで
自分がどこに立っているのか分からなくなるんです」
その言葉は、
木の粉よりも細かく震えていた。
売る仕事は人のために作る仕事
ミクは、作業台の端に座りながら言った。
「売る仕事ってね
誰かのために作る仕事なんです。
使う人のことを考えて、
安全で、かわいくて、長く使えるものを作る」
タダシはうなずいた。
「それは、ミクさんがずっとやってきたことですよね」
ミクは、少しだけ笑った。
「はい。
私は、人のために作るのが好きなんです。
誰かが喜んでくれるのを見るのが好きで
それが職人としての幸せなんです」
しかしその笑顔は、
どこか影を落としていた。
作る仕事は、自分のために作る仕事
ミクは、木片をひとつ手に取り、
光にかざしながら言った。
「でもね
芸術家になりたいって思う気持ちは、
自分のために作りたいっていう気持ちなんです」
タダシは息をのんだ。
ミクは続けた。
「誰かのためじゃなくて、
自分の世界を形にしたい。
自分の心を作品にしたい。
そう思うんです」
その声は、
昨日よりも深く、
胸の奥から出ていた。
二つの仕事のあいだで揺れる心
ミクは、少しだけ目を伏せた。
「でも
売る仕事と作る仕事って、
同じようでいて、全然違うんです」
タダシは静かに聞いた。
「売る仕事は、責任がある。
作る仕事は、自由がある。
そのあいだで
私はずっと揺れてるんです」
タダシは、胸がぎゅっとなった。
(ミクさんは、職人としての責任と
芸術家としての自由のあいだで揺れているんだ)
タダシの言葉がミクの揺れに触れた
タダシは、ゆっくりと言った。
「ミクさん
どちらかを選ばなくてもいいんじゃないですか?」
ミクは、驚いたようにタダシを見た。
「え?」
タダシは続けた。
「売る仕事をしながら、
自分の作品を作ってもいい。
職人でありながら、
芸術家でもいいんです」
ミクは、胸の前で手をぎゅっと握りしめた。
「そんなこと
できるんでしょうか」
タダシはうなずいた。
「できますよ。
ミクさんなら。
ミクさんの作品は、
誰かのためにも自分のためにもなるんです」
ミクは、ゆっくりと目を伏せた。
「タダシさんに言われると、
できる気がします」
その声は、
昨日よりも少しだけあたたかかった。
二人の距離がまたひとつ近づいた午後
ミクは、木片を手に取りながら言った。
「タダシさん
私、少しずつでいいから
自分の作品を作ってみたいです」
タダシは微笑んだ。
「はい。
その背中、私が押します」
ミクは、照れながら笑った。
「ありがとう。
タダシさんがいてくれて、よかった」
その笑顔は、
工房の光よりもやさしく、
タダシの胸に深く沈んだ。
その日、工房を出るとき、
タダシの胸の奥は、
ミクの揺れを支えられた温度で満たされていた。


コメント