サンタ第2工房の午後は、木の香りと静かな光がゆっくり混ざり合う時間だった。ミクは作業台の前で木片を磨いていた。その背中は、昨日より少しだけ柔らかかった。
「こんにちは、タダシさん」
その声は、昨日よりもあたたかかった。しばらく作業をしていると、ミクがふっと言った。
「タダシさんって、時々、すごく人間らしいところがありますよね」
タダシは思わず手を止めた。
「人間らしいですか?」
ミクは木片を光にかざしながら言った。
「はい。完璧じゃないところが、私は好きです」
その言葉は、かわいいよりもずっと深い温度を持っていた。タダシは胸の奥がむずがゆくなった。
(ミクさん、そんなふうに言われたら、なんか、話したくなるじゃないか)
そして、口が勝手に動いた。
タダシが語った3歳の脱走劇
「ミクさん。私、昔肥溜めに落ちたことがあるんです」
ミクの手が止まった。
「肥溜め?」
タダシは、少し照れながら話し始めた。
「3歳か4歳のころで、保育園のお昼寝の時間に、こっそり抜け出したんです」
ミクは目を丸くした。
「抜け出したんですか?」
「はい。職員室の前を匍匐前進で通り抜けて、裏門から外へ出て、畑を抜けて、山際の民家まで探検しようとして」
ミクは思わず笑った。
「3歳で匍匐前進?」
タダシは続けた。
「畑の草を棒でかき分けて進んでたら、ちょっとした段差があって、そこに左足を突っ込んだら
底なし沼みたいに沈んでいって」
ミクは息をのんだ。
「え?」
「慌てて抜こうとしたら、右足まで沈んで、そのとき気づいたんです。あ、これ肥溜めだって」
ミクは口元を押さえた。
「それは!」
「泣き出したところで、倉田先生が裏門から走ってきて、引っ張り出してくれて、服ごと水道で洗われて
最後はスッポンポンにされて、やっと臭いから解放されました」
ミクは、しばらく黙っていた。そして、ゆっくりと笑った。ミクの反応は、かわいいではなかった
「タダシさん。それ、かわいいとかじゃなくて」
タダシは身構えた。
(やっぱり笑われるよな)
ミクは続けた。
「生きててよかったですね」
タダシは固まった。ミクは、木片をそっと置きながら言った。
「3歳で匍匐前進までして、裏門を抜けて、畑を探検して。肥溜めに落ちて、それでも泣きながら助けを求めたんですよね」
タダシはうなずいた。ミクは静かに言った。
「それって、弱さじゃなくて、生きる力ですよ」
タダシは息をのんだ。ミクは続けた。
「恥ずかしい話って、その人がどう生きてきたかが見えるんです。私はそういう話、好きですよ」
その声は、工房の木の香りよりもあたたかかった。
タダシの胸に落ちたもの
タダシは思った。
(ミクさんは、私の恥を笑うんじゃない。私の生きてきた証として受け止めてくれてる。)
それは、誰にもされたことがない優しさだった。
その日工房を出るとき、
タダシの胸の奥は、
仙台の光よりも深く、静かに温かかった。
ミクの言葉が、
タダシの恥を生きる力に変えた日だった。


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